
私が医学部へ行った動機は、1つには子どもの頃によく診てもらった先生がいて「あんな風に何でも診られる医者になりたい」というモデルがあったこと(医学への道を勧めてくださった先生でもある)、もう1つは生命科学(特に分子生物学)に興味があったことです。
研修後CCUに3年間務めた後、大学院に戻り、心筋のCa代謝を専門とする研究室に入りました。その後誘われて行った先が今度は大学の薬理学教室だったので臨床とは全く離れることになりました。その時は臨床に携わるかどうかに関らず何か医学に貢献できれば良いと考えていました。

ところが、「一生かけてこの研究をやってきました」と言えるような基礎研究であれば私自身は時間をかけてやっていきたいと思っていたのですが、実際には、すぐに結果が出ない研究に対しては予算がつかないという状況になり、少なくとも今の日本の大学の現状では息の長い基礎研究はできない、と判断するに至りました。

研究を進められる環境ではなくなってしまったという、ある意味ではネガティブな要因がありましたが、それならそもそも自分がやってみたいと思っていた「何でも診られる医者になりたい」ということができないかと考えました。
とはいえ再度研修を受けられるような環境はないだろうとあきらめかけていた矢先、地域医療振興協会というところに臨床経験がほとんどない人でも臨床現場に立てるよう、働きながらトレーニングできるシステムがあることを知り、やってみよう!と思ったのです。
再研修の場合は、それまでのキャリアが一定ではないので、決まったカリキュラムがあるわけではなく、それぞれの経歴や希望に添っていろいろ考えてくれます。私は、山田先生と直接お話しさせていただく機会をいただき、これまでの経歴を伝え、小さな診療所でとにかく何でも診る、できることは何でもして専門が必要な場合には確実にそこへつなげる、そして専門の先生の治療が終わったらまた自分が診る、そういうサイクルの中でやっていきたいという私の希望を話しました。山田先生は、初めから何でもできるようになろうと思う必要はなく、もともとの専門領域から少しずつ裾野を広げればいい、と言ってくださいました。

そのためにまず伊豆の共立湊病院(当時)で1年間、主に消化器内科を中心とした内科全般及び一次・二次救急医療を学び、その後今の磐梯町保健医療福祉センターに赴任し、もうすぐ2年になります。ここは有床診療所と老健の複合施設なので、小児科や小外科処置など必要に応じて、少しずつ勉強し習得しています。どちらも組織が小さいので小回りがきくことが強みで、患者様のために、今やらなければならない、そしてここでできることは今すぐ行う、という医療を実践できる医療機関です。また、私が困っているとみんながわーっと寄ってきて、あるいはさりげなく助けてくれるのです。へき地とはいっても離島のようにたった一人で赴任するわけではなく、自分一人ですべてには対応できない私にとってとてもよい環境です。

また研究は断念したはずの自分ですが、逆にここでは、小さなテーマでも自分が疑問に思っていることについて、患者様に迷惑をかけなければ研究ができる雰囲気があります。逆に、大学ではできない、こういうところでなければできない研究テーマがあることに気づき、今、少しずつ始めています。また、このために必要な学会や研修会への参加も施設として応援してくださっています。臨床活動自体が毎日新しい発見の連続ですし、さらに研究活動を始めると、大学にいたころは視野が狭かったことに気づかされている今日この頃です。
今後、再研修医として地域医療振興協会の活動への参加を考えてくださる方が、多分躊躇されるかもしれない点として、十分な収入が得られるか?ということもあると思います。私自身、自分がかつて研修医だったときの収入を考えて迷ったことを思い出しました。家庭を持たれている方がほとんどでしょうから避けて通れない問題になると思います。私は、家内が「収入が減っても構わない」と言ってくれたので決心しましたが、結果的には大学に勤務していた時と変わらず、まったくの杞憂でした。
地域医療振興協会での研修、地域医療の仕事は充実しており、地域医療振興協会に参加してよかったと私自身は思っています。
何でも診られる医者になりたいと医学部に入ったものの、実際にはタンパク化学の研究に従事。カナダへの留学から帰った後は薬理学教室へ入り、新しいタイプの強心薬の開発につながる可能性がある基礎研究などを行っていた。
風情のある会津の地で、山へトレッキングにいったり、スキーにいったり、スノーシュートレッキングやってみたり、温泉や地酒なども楽しみながら、センターのスタッフに支えられて少しずつ臨床経験を積んでいる毎日。